著者は、アフリカにアートを学びに行ったはずが、まるでアリスが「不思議の国」に迷い込んでしまったかのように、奇妙な場所に導かれてしまったんです。最初は戸惑いと驚きの連続。しかし、次第に著者の心は、この不思議な村に惹きつけられ、気づいたらビックリするくらい、幸せになっていたのです。
「何のために生まれてきたのか?」
その答えもまた、この場所で見つかりました。
日本に戻る日が近づいた頃、村長から衝撃の事実が明かされます。
この物語を読み進めるうちに、あなたの生き方も、まったく変わってしまうことでしょう。
私が本書を手に取るきっかけとなったのは、ショーゲンさんのYouTube動画でした。その内容に惹かれ、もっと知りたくなったのです。以下に、きっかけとなった動画と本書の内容をご紹介します。
ずっと幸せであり続ける奇跡の村
「抱きしめるようにして話すんだよ」
著者は村での生活に慣れようと努力していましたが、文化の違いや独特の価値観に圧倒され、いろんな人から「心に余裕がない」と指摘を受けていました。そんなある時、3歳のザイちゃんが友だちからお菓子をもらっているのを見て、つい「ちゃんとお礼を言わないとだめだよ」と言ってしまいます。
そう言ってしまったことで、ザイちゃんから次のように言われました。
「ショーゲンは、肌と肌が触れ合うのが温かいってことがわかっていて、私にその言葉を言ってるの?」
ザイちゃんは続けて言いました。
「ショーゲンの言葉には、体温が乗っかってないから、私には伝わらない」「言葉はね、相手をハグするように言うのよ。ショーゲンは、お母さんから抱きしめられたことがないの?」
そして、ザイちゃんは「私が抱きしめてあげるね」と言って、ギューッと抱きしめました。
ブンジュ村の挨拶「今日、誰のために生きる?」
ブンジュ村の人たちの挨拶は、とてもユニークです。
「おはよう、今日も空を見上げている?」 「今日も裸足で土を踏みしめようね」 「今日は太陽に照らされた野菜たちが、すごく嬉しそうだね」
これがこの村の挨拶なんです。中でも、究極は朝と夜の挨拶です。
「ショーゲン、おはよう。今日、私は自分の人生を生きるね。ショーゲンは誰の人生を生きるの? また夜ご飯の時に会おうね」
「ザイちゃん、おはよう。今日は誰の人生を生きる?父ちゃんはオレの人生を生きるからな」
「おはよう。今日、誰のために生きる?オレは自分のために生きるから。それではまた」
ブンジュ村では、挨拶は「とりあえず言うもの」ではなく、相手の顔をちゃんと見て、その人の状況を感じながら声をかけるんです。
「ショーゲン、空を見上げている?」
著者はブンジュ村に来た当初、朝も昼も、こう挨拶されていました。ここでは「空を見上げる心の余裕」を大事にしています。
そして、空を見上げる余裕が出てきた頃、「ショーゲン、自分の人生を生きている?」「ショーゲン、今日、誰のために生きる?」というように挨拶が変わっていきました。
失敗した人は「人間らしいね。かわいいね」
村長がこんな話をしてくれました。
「たとえば、ショーゲンがこの村でライブイベントをするとする。ティンガティンガは黒、白、赤、青、黄色、緑など6色で描くんだけど、たまたま黄色を忘れたとする。そんな時は、どうしたらいいと思う?」
著者が、じっと村長を見つめて考えていると、村長が言いました。
「そういう時は、みんなに黄色を忘れてしまったって、正直に言ってほしいんだ。そうしたら子どもは、大人でもそんなことをするんだって安心できるでしょう?」
続けて村長は、こう聞いてきました。
「じゃあ、ショーゲンが黄色を忘れた時、大人はショーゲンにどんな言葉をかけたらいいと思う?」
「この村の大人は、『人間らしいね、かわいいね』って言ってあげるんだ。生きていく上で一番大切なのは、人間らしさ。年を重ねれば重ねるほど、完璧になっていくんじゃないんだよ。人は、年を重ねれば重ねるほど、人間らしくなっていくんだ」
不完全であるからこそ、愛される存在だということ。だから、失敗した時は、この村では「そんな私って、かわいくない?」ってみんな言います。
自分らしく生きる覚悟
著者は日本人のお客さまから頼まれた絵を完成させるために、朝から必死になって描いていました。これが売れたらお金がもらえる、という思いもあって一生懸命でした。
その時、村長が訪ねてきて、こう聞きました。
「何を描こうとしているの?」
「キリンを描こうとしています」
村長はしばらく著者を眺めて、こう言いました。
「そこに喜びがあるの?」
手を止めて、じっと絵を見つめていると、村長は続けて言いました。
「ショーゲン、歓喜する人間になると、決めてほしい。
自分らしく生きていく覚悟を決めてほしい。
ショーゲンがもし、歓喜もせず、自分らしく生きる覚悟を持てないなら、
すぐにこの村から出て行ってほしい」
実際、著者は改めて自分の絵を見た時、それはあきらかに注文主を喜ばせるための構図だと気づきました。頼まれた仕事であっても、そこに自分の喜びをしっかり見出し、乗せていく。見つけられないならやめていい。この村では、「自分の喜び」をとても大事にしているのです。
自分の喜びにどこまでも寄り添い、その喜びを素直に表現して生きる。それが歓喜する人間です。
自分の喜びを生きていく時、人は自然に自分らしくなっていきます。
おじいちゃんは、シャーマン
「ショーゲンは、なんでそんなに心に余裕がないんだ? 日本人なのに不思議だな」
「日本人なのにね……」
著者は、さまざまなところで何度もそう言われてきたのですが、「日本人なのにって、どういうこと?」とずっと不思議に思っていました。
そんなある日のこと、村長がやって来て、「自分の家に来なさい」と言います。
村長の家に着くと村長の奥さんも待っていて、いつになく改まって村長が言いました。
「実は、この村の先輩は日本人なんだよ」
「うちのおじいちゃんが言ってたんだ」
村長は70歳ですから、そのおじいちゃんと言うと、120~130年前の人になります。そのおじいちゃんは、村でご祈祷やご神示をやっている、いわゆるシャーマンだったと言います。
おじいちゃんは、夢の中で時空を超えて日本人と交信し、いろいろ教わっていたと言うのです。村長は続けて言いました。
「今日、誰のために生きる?」
「私はあなたのことを信じてる」
「人間らしいね」
これらの言葉は、村の合い言葉とも言えるほどよく使われているのですが、すべてかつての日本人の口癖だったと言うのです!
虫の音を聞ける日本語の秘密
シャーマンのおじいちゃんは、こう言っていたそうです。
「日本人こそがおれたちの先輩で、真のアニミズムなんだ。自然災害が来ないように、自然に対して手を合わせるという心がみんなの中にある。
地球上で、虫の音がメロディーとして聞こえる、虫と会話ができる稀有な民族が2民族だけいて、それが日本人とポリネシア人なんだ」
「村長には虫の音が、どう聞こえているの?」
著者は不思議に思って聞いてみました。
すると、「おれは牛の鳴き声はちゃんと聞こえるし、気持ちもわかる。鳥の鳴き声も聞こえる。でも、虫の音だけが、工事現場の騒音のように聞こえるんだ」と言うのです。
「日本人は虫と話をするために、日本語を生んだんじゃないかな」と村長は言いました。
自然の中で一番小さくて繊細な声をちゃんとキャッチして、自然と共存共栄して生きていくためにです。
かつて日本人は、世界中で一番、自然から愛されていた人種だったそうです。さらには、
「自然ととてもいい距離感で向き合っていて、小さな虫の音にまで耳を傾けることができるほど、ものすごく心に余裕がある人たちだったんだ」と村長は教えてくれました。
「虫の音がメロディーとして聞こえる、会話として聞こえる、その素晴らしさは、当たり前じゃないからね」
「なんでそういう役割を日本人が与えられたのか? 幸せとは何か、本当に大切なことは何か、それがすでに日本人はわかっているからだよ。だからそれを伝えていく役割が日本人にはあるんだ」
日本人に虫の音が聞こえなくなった時、地球の破壊が始まる
さらに、とてつもなくプレッシャーになるような言葉を、あの夜、村長から聞かされます。
「この世が滅亡する時は、日本人に虫の音が聞こえなくなった時だよ。つまり、自然と対話できる人がいなくなった時に、地球の崩壊が始まる」
虫の音が心地良くメロディーとして聞こえるのに、聞こうとしないのは、日本人が今、心にゆとりを失っているからです。
「虫の音をゆっくり味わいながら聞く時間を、日常生活の中に作っていくことで、自然と共存し、すべての生命と仲よく生きていくための術を、日本人は理解することができる」と村長は言っていました。
村長がある日、著者に言いました。
「ショーゲン、なんで日本人は心のゆとりを失ったんだ? 今の日本人は、みんなそうなのか? 空を見上げられない人が多いのか? 誰かに、心のゆとりを持っていかれたのか?
本当の日本人は、そうじゃなかったんだ。世界で一番、空を見上げる余裕を持っていたのが日本人なんだ。取り戻してくれ、今すぐに。」
「世界中の人が一番大切にしないといけないのは、日本人だとおれは言い切れる。だから、その感性を取り戻してほしい。日本人は、心の豊かさと、ゆるがない心の安定を持っている人であってほしい。それが日本人の役割なんだよ」
ひすいこたろうさんの解説
気持ちを丁寧に伝え合うことが「平和」の原点
日本の神話『古事記』を研究している加藤昌樹さんは、神話の中の日本の神さまたちの言動を解読している中で、こう感じたそうです。
「問題は解決するために起きているのではなく、話し合うために起きている」
日本の神さまたちは、何かあるたびに「天の安河原」に集まり、お互いに本当の気持ちを伝え合うのだそうです(これを「神集い」と言います)。
そこでまず、感情の先にある本当の「気持ち」(本音)をちゃんと伝える。それを「うん、うん」と受け取ってもらえると、安心感が生まれてきます。
本当の気持ちを受け取ってもらうと心が開いていき、信頼感が生まれてきます。
それを繰り返していくと、愛情が育ち、相手が愛おしくなってきます。すると自然に応援したくなるし、何かあっても、ゆるせるようにもなります。
日本の神さまたちは、言葉を使って気持ちを伝え合い、信頼できる関係を作り、愛おしさでもって世界を作っていったんです。
これを『古事記』では言向和平(ことむけやわす)と言います。これが日本人の「平和」の原点なんです。
虫の音と共鳴する日本人の感性
日本人の感性を形作っている日本語の秘密を、村長はこう語っていました。
「日本人は虫と話をするために、日本語を生んだんじゃないかな」
たしかに、日本語の周波数帯は125~1500Hzで、まさに自然音に近い周波数なのです。
京都には「鈴虫寺」という年中鈴虫が鳴いているお寺がありますが、海外では「騒音寺」と言われています。特に欧米人にとっては、虫の音はノイズとして聞こえるので、やかましくて入れないくらいなんだそうです。
そして、村長の言う通り、虫の鳴き声や葉がすれる音をメロディーのように美しく感じられるのは、日本人とポリネシア人だけだと研究でもわかっています。
ー>数年前から私はこの「鈴虫寺」を訪れるようになり、住職の説法と鈴虫の音に心がほっと癒されています。訪れるたびに、その独特な空間と流れる時間が心の奥にやさしく染みわたり、自然と穏やかな気持ちが戻ってくるように感じます。
最後に、ブンジュ村の村長の言葉です。
「愛が注がれたものからしか、愛は与えられないんだよ」。
この言葉を胸に、私も日々の生活に丁寧に愛を注げる存在になりたいと思っています。自分を大切にすることで、周りにもその愛が自然に広がっていくと信じています。
というわけで、今回は以上となります。記事が参考になりましたら、幸いです。