東京・新宿御苑にそびえ立つ高層建築――71階建ての「シンパシータワートーキョー」。その洗練された外観は、未来の理想郷を象徴するかのように人々の目を奪い、新たなランドマークとして賞賛を集めている。しかし、その内実は、社会の光と影を映し出す鏡でもある。
この建物は、犯罪者を収容する刑務所である。ただし、従来の刑務所とは一線を画している。犯罪者を「ホモ・ミゼラビリス(哀れむべき人間)」と定義し、出自や環境によって犯罪を強いられた彼らに深い同情を寄せる。そして、穏やかで幸福な刑期を過ごさせることで更生を目指す――そんな社会主義的思想を基盤に設計された、日本初の“寛容”を掲げた刑務所だ。
だが、「寛容」を是とするこの思想に、心の底から賛同できない一人の建築家がいた。牧名沙羅(マキナ・サラ)。自身の信条と職業的責務とのあいだで葛藤しながらも、彼女はこのタワーの設計コンペに挑んでいた。
犯罪者への同情は正義なのか、それとも甘さなのか?
「シンパシータワートーキョー」が放つメッセージが、日本社会に投げかける問いの先に待つ未来とは――。
ホワイト社会と「言葉」の行方
本書を読んで、岡田斗司夫さんが提唱する「ホワイト社会」の話を思い出しました。ホワイト社会とは、一見すると「清潔感」や「共感」を軸にした穏やかな社会のように見えます。しかし、その裏側には「異端を排除する厳格な社会」という一面が潜んでいるといいます。
清潔で穏やかな世界。それは理想的に見える一方で、個性や異なる視点が排除される可能性を秘めています。私たちはそんな社会で、どのように言葉と向き合うべきなのでしょうか?
言葉が「ホワイト」になる未来
ホワイト化が進む未来では、言葉もまた「ホワイト」であることが求められるでしょう。誰も傷つけない、無害で慎重に選ばれた言葉ばかりが飛び交う世界です。
一方で、社会に向けられる言葉が婉曲的でマイルド化するのに対し、個人に向けられる言葉は尖鋭的で過激さを増しているという現象も目立ちます。つまり、言葉そのものが「二極化」しているのです。
発する言葉が他者の感情を害さないかどうか、自分自身の中に「検閲者」を置いて確認します。言葉を選ぶ自由と同時に、言葉の制限が強く意識される社会です。
困ったときにはAIに頼ることができます。AIは誰も傷つけないように言葉を調整し、配慮されたメッセージを生成してくれます。確かに便利ですが、そうして生まれた言葉は本当に「自分の言葉」と言えるのでしょうか?
自分の想いが消える社会
ホワイト化が進むことで、私たちは自分の本心や想いをそのまま表現することが困難になります。鋭さや個性を持つ言葉が次第に排除され、無害なだけの言葉が未来での標準となります。
私たちが普段当たり前のように使っている言葉の「力」や「重み」が、社会の空気の中で中和され、色を失っていくのです。
忘れてはならないこと
ホワイト社会の中で、私たちが忘れてはならないのは、言葉の持つ「力」や「想い」を見失わないことだと思います。たとえ配慮が必要な社会になったとしても、自分自身が感じたこと、考えたことを伝える術を失っては、本当の対話は成り立ちません。
ホワイト化された未来は、ある種の「パラレルワールド」のようなものかもしれません。ですが、こうした世界が現実になる可能性を考えることで、私たちが今、大切にすべきものを見つめ直すきっかけになるのではないでしょうか。
最後に: 言葉は社会を映す鏡であり、同時に未来を形作る道具でもあります。だからこそ、自分の言葉を持つことの大切さを、改めて考えていきたいものです。